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9月の歴史 京都市電 2002/9/4
[10月の歴史]


皆さんにお知らせがあります!!!これから毎月1回の
ぺースで「今月の歴史」というシリーズがはじまり
ます。(この記事ですよ!) 

内容は、過去のその月にあった出来事を振り返って、
どんな事があったのか調べて見よう!というものです。
歴史のジャンルは限定せずに、何の歴史でもとりあげたいなと
思ってます。では、さっそくですが、今月は9月ということで、
9月の歴史のコーナーにいきたいと思います!


皆さんは、今から24年前の9月のことを、憶えていますか〜?
そんな昔の事、憶えてないよという方も多いかもしれません。昭
和53年の9月30日をもって京都の町並みから姿を消した市電
みんなに愛され、親しまれていた市電の歴史について、平成14
年の9月を迎えた今、ふりかえってみることにしました!



市電を見に行こう!
まずは、実際に今でも市電を見ることが
できるところはないかなぁと思ったレポ
ーター。調べていると、京都市北区にあ
る大宮交通公園という所に、車両がある
という噂を聞きつけ、いってきました!
ありました!市電の車両を
2つ発見!
まずは、奥の車両。これは
明治28年に日本で始めて
走った、京都の市電、北野
線です。今の電車に比べた
ら大変細いし、全体的に
小さい感じでした。


北野線が引退したのは昭和
36年でした。写真は横か
ら撮ったものです。
北野線の車内です。少し横幅が狭いの
で通路も狭そうですね。中は、児童向
けの図書館になっているようで、
本棚がありました。
北野線の運転席の部分です。
とはいっても運転席の横が
出入り口になっているので
乗り降りには運転席まで
込み合いそうな感じでした。
最後にもう1台のほう、
こちらは河原町線として
走っていた1800型
電車です。
河原町線の横側です。
北野線に比べてひと回り
か、ふた回りほど大きい
感じ。なんと言うか北野
線と見比べると、最近の
電車の形にぐっと近づい
たなっという印象を
受けました。
前のドアのところに、
「90円か、切符をご
用意下さい」と書いて
ありました。
<市電の運賃の変化>  
昭和26年 10円  
昭和43年 20円  
昭和47年 40円  
昭和50年 70円  
昭和53年 100円 
「前のドアからお乗り
ください」とあります。
前からのって、うしろから
降りていたようです。
河原町線の車内。北野線に
比べて、通路部分がゆった
りしているのが印象的
でした。
本棚の裏をすり抜ける
ようにして河原町線の
運転席部分を見ます!
このレバーはアクセル
のようなものかなぁ。
河原町線の計器類。
随分使い込まれたよう
な感じです。沢山の
ひとの思い出に残って
いるんでしょうね。
うーん。あんまり詳しく
ないですけど、バスの
運転席にある操作パネル
みたいですね。
窓枠の横にブザーがついて
ました。当時はみんなこれ
を押して、降りていたん
ですね〜


市電の開業
京都の市電は、明治45年6月11日に
開業しました。それ以前の、明治28年
2月1日から、京都には路面電車が走っ
っていて、こちらは京都電気鉄道株式会
社が運営する、国内で初の路面電車だっ
たそうです。市電はそれを、「市内交通
の一元化」(市内の交通事業はまとめて
1個にしちゃおう!)ということで、買
収して、事業を受け継ぎ、路線も拡大し
ていく形になりました。


市電大活躍!の時代。
さてさて、時代は昭和へと流れていきま
す。昭和に入ると、京都も産業が発展し
てきました。そして、それにあわせて人
口もどんどこどんどこと増えまして、市
街地も京都市の外のほうまで広がってい
ったのです。そこで、市電も東山線や七
条線、梅津線など、次々とエリアを拡大
していきました。余談ですが、市バスも
昭和に入って開業していました。今の時
代と違って、まだこのころはそんなに自
動車(自家用車)が普及してなかったの
で、市電と市バスは、みんなの足として
がんがん利用されまして、まさに大活躍
していたのです!


市電大活躍の頃(昭和35年頃)の路線図
はい。これは市電が活躍していた頃の、
路線マップです。量が多くて書ききれま
せんでしたが、もちろん、停留所は各路
線上に細かくあって、場所も量も今の市
バスの停留所と同じくらいありました。
そんなわけで今、見てみると市バスの路
線図みたいですね。各家庭に車が無くて
今の市バスみたいに走っている市電。そ
の状況を考えてみると、みんなが毎日乗
っていたんだなぁと想像がつきますね。
きっと皆に親しまれて、
愛されていたことでしょう。


自動車の時代と市電
第2次世界大戦も終わり、昭和30年代
も後半になると、日本の経済も急速に成
長しはじめました。それに伴って、京都
にも自家用車が急増し、人口も都市部か
ら郊外へ移転する、人口のドーナツ化が
進んできました。そんな状況の中で、市
電は以前ほどの、利用客が見込めなくな
り、実際のところ急激なスピードで乗客
は減っていってしまいました。路面電車
の創業当初の形をそのまま保って運転し
ていた北野線が、昭和36年7月31日
限りで廃線になってしまいます。寂しい
話ですが、廃線されたときには、京都市
民や全国から人々が集まって、その労を
ねぎらったそうです。きっと、いろんな
人の思い出に残っていることでしょう。


みんなの市電、お疲れ様!
先ほど、お伝えしたように、自家用車が
増えて交通手段が多様化したことや、人
口流出などの理由で、利用客が減ってし
まった市電。やっぱり事業として続けて
いくには難しくなってきてしまいました。
昭和45年3月31日の伏見・稲荷線の
廃線に続いて、千本・大宮・四条線は昭
和47年1月22日に廃線・・・。とい
う感じで次々に市電は京都の町並から姿
を消していきました。そして、昭和53
年の9月30日、北大路・九条・東山・
西大路・七条線の廃止をもって、京都市
電は京都の町からは完全になくなりまし
た。運賃を見ても、昭和2年の普通券が
10円、昭和53年の普通券が100円
となっていて、この間、日本の経済がど
れほど、急激に成長し、みんなの生活が
急速に変化していったのかよくわかりま
すね。





●取材・制作・編集  岡本 卓也

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