 昔の浜大津港(1882年頃) |
 今の浜大津港(2003年頃) |
レポーターは今回、琵琶湖の船のことを調べに
大津市歴史博物館へいったのですが、途中
歴史の舞台となった琵琶湖を見に、浜大津の
港へいってみました。100年以上も前の浜大津の
港の写真(左)と今の写真(右)を見比べても
どれほど歴史が進んだのかわかりますね!
こういった琵琶湖の港を舞台に、時の流れが
いろんな船の歴史を作っていったんです。
さて、まずは琵琶湖に(日本に)初めてやってきた
という、一番丸という蒸気船。一体どんな
船だったんでしょうか?そのころの船の話
からいってみましょう!
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◆湖上汽船ってどんな船だったの?
さて、冒頭でも紹介しましたが、琵琶湖で
初めて、日本の湖では初めて蒸気船が走った
のが、今から130年ほど昔、1869年の3月でした。
一番丸は、木造の蒸気船で、1868年の
12月3日から造られ、4ヶ月ほどで完成しました。
一番丸は5トン、12馬力の船で、大津・
海津の間を、後ろに丸小船という小さな
船を引いて、時速7.4キロで航行していました。
旗と煙をなびかせて進む蒸気船の姿に、
当時の人々は、日本の近代化の風を感じたと
いわれています。
◆蒸気船を造ったのはどんな人?
一番丸の就航の仕掛け人は、一庭啓二
(いちばけいじ)と石川嶂でした。二人とも
蒸気船が走るずっと前からある琵琶湖の
船の組織、「大津百艘船」(おおつひゃく
そうせん)の仲間同士でした。特に、京都人
でもあった一庭啓二は、江戸幕府の終わり
ごろに、アメリカから日本へやってきた
黒船に強い衝撃をうけて「いつか琵琶湖に
蒸気船を航行させよう!」という夢を
持つようになったそうです。そして、
1867年にふたりは大津で出会い、長崎で
オランダ人に航海術や造船技術を学んだり
しながら、一番丸の造船にこぎつけた
のでした!
◆琵琶湖の船の組合?大津百艘船ってなに?
さて、ここで琵琶湖に汽船を誕生させた男、
一庭啓二も入っていた「大津百艘船」という
組織に注目してみましょう!"おおつ
ひゃくそうせん"って読みます。なんだか
ちょっとカッコイイ名前のこの組織、
実はながーい歴史をもっていて、琵琶湖の
船の歴史上、とっても重要なものなんですよ!
時代は豊臣秀吉の登場する安土桃山時代
までさかのぼります!随分古いですね。
このころは、織田信長などいろんな勢力が
全国で、領地やリーダーシップを巡って
戦争をやっていいて、豊臣秀吉の
全国統一でやっと落ち着いた時代でした。
琵琶湖での水運(船で荷物を運ぶこと)は、
平安時代くらいからすでに始まっていて
電車や飛行機がなかった昔の時代には
特に重要な輸送手段でした。秀吉は、
その重要性を良く知っていて、琵琶湖
での水運をしっかり管理すること、輸送
される物資の中継都市として、大津を
発展させていくことなどを目標にしました。
そして、まず始めの一歩として、1587年頃
琵琶湖で水運業をやっていた主な船、
100艘を大津港に集めて、琵琶湖の船の組織を
作ったのです!では、一体どんなことが
この船の組織「大津百艘船」で行われて
いたのでしょうか?今度はそこを探って
みますね。
◆「大津百艘船」の功績!
秀吉公認の船の組織、「大津百艘船」には
人や荷物の輸送を独占できる権利など、
いろんな特権が与えられました。そうやって
大津の港をもっと活性化することで、琵琶湖の
水運を管理し、物資の補給路を支配する
ことが、国を治める上で重要だったからです。
琵琶湖の船がまとまってきてからは、もっと
いろんなこともやったようです。船奉行という
水運と船の役職を用意してきちんと管理をさせたり、
船の運賃も細かく決めたり、積荷などを巡って
船同士でトラブルが起きないように、法律も
定められたようです。そして、秀吉の時代が
終わってからも、船奉行など、きちんとした
船の管理体制は江戸時代まで受け継がれて
いったのです!
結果として、以前はひなびた感じだった大津港
も、湖岸にいろんな藩の蔵屋敷が建ち並び、船を
巡って行きかう人々で活気づいてどんどん発展して
いくようになりました!
◆蒸気船以前の船はどんなだった?
ところで、「大津百艘船」の時代から蒸気船が
登場する前までは、一体どんな船が活躍して
いたんでしょうね?江戸時代の船奉行の残した
記録によると、どうやら丸子船という荷物の
運搬船が主力となって活躍していたようです!
最盛期は1300艘もあったようです。普段は帆で
風の力を利用して航行し、風の無いときには
竿や櫓を使って航行していました。この船は
琵琶湖独特のものなんだそうです。
◆蒸気船のその後
蒸気船・一番丸のデビュー以降、滋賀県も
汽船の運航を推奨するようになったそうで、
大津以外でも、彦根・長浜・海津などの町で
ぞくぞくと汽船が造られるようになって
いきました!汽船の会社も沢山設立されて
琵琶湖はまさに汽船の時代!というほど
にぎわいをみせていたそうです。
その後、京都と大阪間で鉄道が走ったり
しまして、時代は徐々に鉄道の時代へと
移り変わります。琵琶湖の蒸気船も、
1889年(明治22年)の東海道線の開通に
よって、物資の輸送が船から鉄道にまかされる
ことが多くなって、輸送手段としては
活躍の場が減ってしまいました。しかし!
琵琶湖の美しい景色を最大限に利用する
方向で、蒸気船は観光船としてふたたび
活気をとりもどしていくことになります。
その流れをくむのが、現在、琵琶湖で
乗ることができる遊覧船なんですよー。
皆さんは、琵琶湖の船の歴史が実はこんなに
長かったってご存知でしたかっ?
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帆を張る丸子船
普段は風の力を利用
して走ります。
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浅野長吉制札
大津百艘船の
特権が記されて
います。
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