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4月の歴史 京都の母!琵琶湖疏水の歴史! 2003/4/1
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毎月1回、過去のその月にあった出来事を
振り返って、一体どんな事があったのか
調べてみよう!という「今月の歴史」シリーズ。
毎月楽しみにして下さっている方、ありがとう
ございますっ。ご意見もどんどんお寄せ下さい!
さて、桜咲く、4月がスタートしました!皆が
気持ちを新たに、いろんな方向に向かっていく
この月。昔はどんなことがあったのでしょうネ?
さっそくいってみましょう!

★1890年4月9日、琵琶湖疏水が完成!★
京都へ向かう琵琶湖の水
(滋賀県大津市の疏水入り口)
トンネルをぬけ京都各地へ
(京都市左京区、北へ流れる疏水)
いきなりですが、皆さんは琵琶湖疏水(びわこそすい)
ってご存知ですよね!?京都では、哲学の道や
南禅寺の水路閣など、疏水の一部分が有名な
観光名所にもなっています。ほとんどの方が一度は
行ったことがあると思います。琵琶湖疏水って、
自然のものではなくて、100年以上も昔の人
たちが苦労して造ったものなんですよ!

ところでどうして昔の人は、琵琶湖の水をわざわざ
京都まで運ぼうとしたんでしょうネ?飲み水が
無かったからでしょうか?・・・そんなわけで
今回はなぜ何のために琵琶湖疏水は100年以上も
前に造られたのか?そして今までどんな働き
してきたのか?というところに注目して、その歴史
を振り返ってみようと思います!さっそくレポートへ
いってみましょ〜。

 目次 京都の町を作った琵琶湖疏水を追え!(疏水の歴史レポート)
疏水の流れ!(年表) 
※クリックすると項目へとびます。

◆京都の町を作った琵琶湖疏水を追え!(疏水の歴史レポート)◆

現在の琵琶湖疏水
大津市三保ケ崎〜京都市東山区蹴上
琵琶湖疏水は、今から110年ほど前の1890年
に完成しました。もう100年以上琵琶湖の水を、
山を潜り抜けて京都に運んでいるわけですネ!


京都市電
疏水を利用した水力発電は
市電の導入など、京都の町を
近代的に豊かにしたのです!
◆このままじゃ京都がアブナイ!
今では、日本の「古都」として日本中、
世界中のひとに愛されている京都。
一年中、観光客で賑わいを見せ、一方で
製造業が盛んでビジネス街もあり、交通網も
充実しているこの町。でも、皆さんはそんな
京都に、元気の無い時期があったのを信じ
られますか?「もう京都はダメなのか・・・」
皆がそう思っていた時期が、明治時代にあった
んです。

「ちょっと(東京)行ってくる」、そんな言葉を
残して京都を旅立ったと言われています明治
天皇。1869年(明治2年)3月28日、天皇は東京の
皇居へ
移り、それまで日本の政治・文化の中心地
だった京都は、東京にその座を引き継がせた
後、急激に衰えてしまったのです。天皇が東京へ
行ったことで、政府の役人や町の公家たちは
次々と東京方面へと移っていき、人口が激減
また、公家や役人など高級な伝統工芸品を買う
「お客さん」が減ってしまった伝統産業は
みるみる衰退
して行きました。貴族の保護を
受けていた茶室やお寺など様々な分野の
文化も衰退。まさに京都は、華やかな文明
開化の影で急激にさびれていってしまった
のでした。

そんな京都に元気を取り戻そう!元気が無く
なった産業に再び活気を与えて、町を生き
返らせよう
という思いが、皆の中に高まり
京都の政治を動かしていくのです。1881年
(明治14年)京都府知事になった北垣国道(きた
がきくにみち)というリーダーを筆頭に、
琵琶湖から京都に水を引くという壮大な
「琵琶湖疏水」の計画が実行に移された
のでした!

◆京都を救え!琵琶湖疏水に託された夢!
琵琶湖から京都に水路を造るなんて、今の
私達でも相当大掛かりな工事だなぁって思い
ますよね。ましてや110年も昔の話。琵琶湖
疏水の計画は、京都はおろか日本でもこんな
大工事は、誰も経験したことがないほどの
ものでした。

そんな突拍子も無い計画をなぜ実行したの
でしょう?当然そこには、京都を再び蘇らせる
ための色んな夢と計画が詰まっていたから
なんです。具体的には、琵琶湖疏水によって
舟で物資の行き来を盛んにしようという目的
町のエネルギー源(水力発電の電力)を生み
出そうという目的、飲み水の確保(浄水施設の
整備)
などがありました。特に二番目の
「エネルギー」の確保というところが、
京都の町を元気に蘇らせたのでした!

◆壮大な疏水工事とその苦労・・・
こうして、琵琶湖(滋賀県大津市大津港)から
京都(京都市左京区蹴上)まで疏水を造る、
前代未聞の大工事が始まりました。工事費用は
125万円と、当時の京都府の歳出(60万円ほど)
の2倍!当然、莫大な資金がかかるこの計画に
反対する声も多くありましたけど、いろいろな
所から資金を調達し工事は進められていきました。

水路を引くにあたってはトンネルを3つも
掘る必要がありました。固い岩盤に阻まれたり
水脈にあたってしまったり、犠牲者がでるほど
危険な場所での作業も多い工事だったんですよ。
疏水を造るためのレンガやセメントの調達も
大変で、疏水工事の資材のためにわざわざ
工場を建てるほどのものでした。そんな苦労の
果てに、約4年もの歳月を費やして疏水は
ついに完成!1890年4月9日に竣工式(工事が
完了したしめくくりの式)が行われたのです!

◆活気をとりもどした京都!
次のコーナーの年表をみると流れがわかりやすいの
ですが、琵琶湖疏水(現在、第1疏水と呼ばれて
いる部分)は1890年に完成します!そして翌年
には蹴上発電所が完成し、水力発電が行われる
ようになりました。電力の充実によって京都には
新しい産業も増えて、近代産業都市へと発展して
いったのです。電力を利用して当時の京都に、
輸出用の紡績工場が沢山出来ました。そのため
雇用も増えて仕事の場が出来たので、人口は
どんどん増えて
いったのでした!

その後、京都の町は順調に発展し、必要な電力量を
まかなうためにさらに疏水を拡張したり、増設
したりしていきました。第2疏水が完成し、より
一層沢山の電力が確保できるようになった頃には
京都の町には市電が走り、人々が行きかう活気を
取り戻すことができたのです!

疏水は、出来て110年ほどたった今でも
水道(現在は一番多い用途)、発電、農業、
工業、防火
など京都の人の生活に密着して
役立っているんですよ!当たり前のように
毎日生活している私たちだけれど、110年
前に命をかけて琵琶湖疏水を造ってくれた人
のおかげなんだなぁ・・・。
蹴上の浄水場取水口
琵琶湖の水が蹴上浄水場へ
運ばれます。
蹴上浄水場
疏水の水が、水道水に!
スタンレー式発電機
蹴上発電所から京都の
町へ電気を送って
いました!
ペルトン式水車
疏水の水を使って蹴上
発電所で発電機を動か
していた水車。
蹴上発電所
疏水はパイプの中を
流れて発電に利用されて
ます!

南禅寺水路閣
疏水は今では京都の風景に
溶け込み、雰囲気のある
名所としても親しまれてます!

◆ 疏水の流れ!(年表) ◆

ここで琵琶湖疏水が出来て、疏水に関連した
発電所など京都の町を支える、重要な施設が
出来ていくようすを年表で振り返って見ま
しょう!どんどん広がっていく疏水の様子と
役割の変化がよくわかりますよー。

西暦 和暦 疏水の歴史
1883年 明治16年 大津・京都間の測量が完了。疏水を造る
準備が出来ました!
国に工事をしたいと届出をします。
1885年 明治18年 許可が下りて、工事にとりかかります。
1890年 明治23年 4月、琵琶湖疏水(現在では琵琶湖"第1"
疏水
と呼ばれています。大津市三保ケ崎
から京都市東山区蹴上までの水路)が完成!
1891年 明治24年 蹴上発電所ができる。
1892年 明治24年 鴨川運河(鴨川に沿って伏見方面へ
流れる疏水)の工事が始まる。
1894年 明治27年
鴨川運河が完成!京都の南に疏水
のびました!
1895年 明治28年
京都電気鉄道伏見線開業
1908年 明治41年 琵琶湖第2疏水の工事にとりかかる。
1909年 明治42年 水道創設事業が始まる
1912年 明治45年 第2疏水と蹴上浄水場が完成
1914年 大正3年 夷川発電所・伏見発電所が完成
1972年 昭和47年 哲学の道、開通!
1983年 昭和58年 南禅寺水路閣、蹴上インクラインが
 市の文化財になる
1984年 昭和59年 哲学の道がゲンジボタルの生息地として
市の文化財に登録される
1999年 平成11年 第2疏水連絡トンネルが完成する

琵琶湖疏水の開通。疏水沿いの発電所や
浄水施設の発展。今では当たり前に感じて
いるこうした歴史が京都の町を近代化させ
いまだに発展させる基礎になっているんだ
なぁ・・・。琵琶湖疏水はアナタの生活の
中でも活躍しているんですよ!


●取材・制作・編集・写真  岡本 卓也

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